HOME   TOPICS 全体

「自由の校風」の折田彦市先生を想う

京大の二次試験の初日、京大の時計台の向かいにある人間総合学部には、折田彦市先生の像が建てられ、好事家たちの注目を集めます。

今年はハリボテの「ノッポトッポちゃん」ですが、もともとは折田先生の銅像の本物にさまざまな彩色やアイテムを施しておりました。

その後、大学当局側が制作者との攻防に疲弊したせいか本体は台座ごと撤去されました。

しかし、それで制作者の創作意欲が失せることはなかったようで、折田先生の本体、台座ならびに説明書き看板もすべて創作した「ハリボテもの」が設置されるようになりました。

ハリボテものは労作であり、制作には多大な資源を要すると思われるのですが、本物が存在したときの円熟期には、「真の自由とは何か」という本質を問いかけているように見ようと思えば見えるような気がする作品もあり、中学生のころ、友達の(自分のではない)社会や音楽の教科書に載っている偉人の肖像に細工(要するにいたずら書き)を施した私の琴線に触れるものがあります。

折田先生の本物の銅像は現在、三高記念館設置準備室に避難されているそうですが、やはり折田先生の銅像あっての創作活動ですし、折田先生ほどの人物であれば、その程度の難は甘んじてお受けになると想像しますので、ふたたび構内に設置していただくことを願っております。

折田先生像の歴史は、定点観測され、画像のアーカイブを作成されている方がおりますので、初期からの変遷を是非ご覧ください。銅像の写真もここからいただきました。 折田先生を讃える会  

ところで折田先生は、京大の創設に尽力され、「自由の学風」という建学の精神を立てられた方だそうです。

本物の銅像があったときには「折田彦市先生は、第三高等学校の校長として京大の創設に尽力し、京大に自由の学風を築くために多大な功績を残した人です。どうかこの像を汚さないで下さい」という看板が添えられていたとのことです。

 

今年の折田先生像と看板  

TOPPO-225x300 

TOPPOkanban-225x300  

私は京大で学んだことはないので「自由の学風」の神髄を習得しているわけではありませんが、とくに若い人を見るにつけ「自由、イコール勝手気まま」と誤解されているのかなと危惧しています。

自由主義の原則は、「対応能力のある成人は自分の身体や財産について、たとえそれが本人の利益にならなくても、他人に危害を加えない限り、自分で決めてよい(by J.S.ミルなど)」であり、「他者への危害がない限り」というたいへん大きな制限がついています。

危害の中には迷惑もはいりますので、電車での携帯電話や授業中のおしゃべりがダメなのも、これが根拠になっています。

日本では、この自由の定義を初等教育でも中等教育でもきちんと教えられていないせいか、「勝手気ままにするのが自由」とはき違えている人が多いように思います。

折田先生の薫陶を(間接的にですが)受けることができるこの季節、おうちでは、お子さんに自由のなんたるかを教えてあげてください。(KS 20130227)