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スタッフ紹介

教員・研究員

>リサーチ・コーディネータ(RC)と事務職員

自己紹介を兼ねて、「子どものころの小さな失敗」について書いてみました。

中山 健夫(なかやま たけお)
京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻健康情報学分野 教授
エコチル調査京都ユニットセンター センター長
内科医

5歳ごろ、おもちゃの飛行機をこわしてしまったことを怒られると思って、公園から母と妹をおいてひとりで家に帰ったことがありました。私がいなくなったことに気づいた母は、あわてて交番に届けて、捜索してもらったそうです。後で妹から「パトカーに乗った」と聞きました。本当に迷惑をかけてしまいました・・・。

小西 行郎(こにし ゆくお)
同志社大学 赤ちゃん学研究センター 教授
エコチル調査京都ユニットセンター 副センター長
小児科医

ものごころついたころから教育ママの教育が始まり、その当時行われていた様々な早期教育はほとんど強制的にさせられた。初めのころは自分一人だけだったので良かったのだが、そのうちに妹が一緒にするようになり、ことごとく妹の方が上をいくようになったのを覚えている。やがてしっかりした妹とだめな兄というのが周囲の一致した意見となり、それは大学時代まで続いた。早期教育で有名になったチェロリストのヨーヨー・マの姉もまた弟に先を越された姉弟である。彼女が一生早期教育を批判したというのは有名な話である。自分の場合はそれほど大きなことではないが、これまでの人生の中で、強い女性の方が自分にとって気持ちが楽なような気がするのは、こうした幼年期のトラウマかもしれない。

呉 東進 (ごう とうしん)
京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定教授
小児科医

その頃いったい自分が何歳だったのか、今となっては定かではありませんが、おそらく小学校に入る前だったような気がします。近くで火事があって、消防車や野次馬につられて私も近所の友達と一緒に見に行きました。どれくらいの時間そこにいたのか覚えていませんが、見物に飽きて帰ってきてみると、何と驚いたことに、自宅のすぐそばの家も真っ赤な炎を上げて燃えていました。私の家は大阪市内にありましたが、当時はまだ茅葺の家が少し残っていました。茅は乾燥した藁みたいなものなので、非常に燃えやすいのです。見物に出かけた火事現場から飛んで来た火の粉で、自宅近くの茅葺の家が類焼していたのです。自宅前の通りは消防車や近所の人でごった返しており、 母は避難しようとして私を探していたのです。火事の見物に行っていたと言うと大目玉を食らいました。それ以来、火事の見物には絶対行かないようにしています。

渡部 基信(わたなべ もとのぶ)
同志社大学 赤ちゃん学研究センター 研究員
学研都市病院医師
小児科医、臨床心理士

親から困っている人を助けてあげなさいと言われ、隣の席の女の子の給食のおかずが足りないのに気付いて、自分のおかずを渡してあげた。いいことしたつもりで調子こいて遊んでいたら、「自分のおかず渡してどないすんねん。ややこしいことすな!」と先生に叱られべそかいた。

金谷 久美子 (かなたに くみこ)
京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻 健康情報学分野 研究員
内科医

数々の失敗の中から、印象に残っているもの3つを。
・5歳の頃。大好きだった小栗くんの家でブロック遊びに夢中になって、うん○もらしました。
・6歳の頃。「強く押す」を強く押してしまいました。
・小1の夏になる頃。ビーチサンダルで学校に行った上に、優しく指摘してくれた先生に「どうしてビーチじゃだめなの?」「すぐに履けるから混まないよ」「普通に走れるよ?」と質問攻め。親に電話がかかりました。
それまで我慢していた不思議、勇気を出して表現してみたのだけど・・・。母が「この子は幼稚園に行っていなかったから・・・」と一生懸命代弁してくれました。

川西 康之 (かわにし やすゆき)
同志社大学 赤ちゃん学研究センター 特任助教
産婦人科医、公衆衛生医

幼稚園の時の記憶です。母と家の近所を歩いている際に、母の姿を見失ってしまいました。少し探したら、横断歩道を歩いている同じ水色のダウンコートを見つけて、「おかあさーん!」と大きな声で走って行って、背中に思いっきり飛びついたら、全然知らないおばちゃんでした(笑)。おばちゃんは笑っていたような気もしますが、ものすごく恥ずかしくなって走って逃げました。

平林 今日子(ひらばやし きょうこ)
京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定助教
社会学

幼稚園でのお弁当初日、母が迎えに来てもまだ食べていたエピソードを、子どもの頃何度も聞かされました。自分では覚えていないのですが、のんびりマイペースな性格は今も変わりません。私の遺伝子をしっかり受け継いだ娘も、小学校での朝と帰りの身支度に苦戦しているようです。温かく見守ってくださる周囲の人々に感謝です。

教員・研究員

>リサーチ・コーディネータ(RC)と事務職員

自己紹介を兼ねて、「子どものころの親の思い出」について書いてみました。

中山 健夫(なかやま たけお)
京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻健康情報学分野 教授
エコチル調査京都ユニットセンター センター長

5歳ごろ、おもちゃの飛行機をこわしてしまったことを怒られると思って、公園から母と妹をおいてひとりで家に帰ったことがありました。私がいなくなったことに気づいた母は、あわてて交番に届けて、捜索してもらったそうです。後で妹から「パトカーに乗った」と聞きました。本当に迷惑をかけてしまいました・・・。

小西 行郎(こにし ゆくお)
同志社大学 赤ちゃん学研究センター 教授
エコチル調査京都ユニットセンター 副センター長
小児科医

ものごころついたころから教育ママの教育が始まり、その当時行われていた様々な早期教育はほとんど強制的にさせられた。初めのころは自分一人だけだったので良かったのだが、そのうちに妹が一緒にするようになり、ことごとく妹の方が上をいくようになったのを覚えている。やがてしっかりした妹とだめな兄というのが周囲の一致した意見となり、それは大学時代まで続いた。早期教育で有名になったチェロリストのヨーヨー・マの姉もまた弟に先を越された姉弟である。彼女が一生早期教育を批判したというのは有名な話である。自分の場合はそれほど大きなことではないが、これまでの人生の中で、強い女性の方が自分にとって気持ちが楽なような気がするのは、こうした幼年期のトラウマかもしれない。

呉 東進 (ごう とうしん)
京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定教授
小児科医

その頃いったい自分が何歳だったのか、今となっては定かではありませんが、おそらく小学校に入る前だったような気がします。近くで火事があって、消防車や野次馬につられて私も近所の友達と一緒に見に行きました。どれくらいの時間そこにいたのか覚えていませんが、見物に飽きて帰ってきてみると、何と驚いたことに、自宅のすぐそばの家も真っ赤な炎を上げて燃えていました。私の家は大阪市内にありましたが、当時はまだ茅葺の家が少し残っていました。茅は乾燥した藁みたいなものなので、非常に燃えやすいのです。見物に出かけた火事現場から飛んで来た火の粉で、自宅近くの茅葺の家が類焼していたのです。自宅前の通りは消防車や近所の人でごった返しており、 母は避難しようとして私を探していたのです。火事の見物に行っていたと言うと大目玉を食らいました。それ以来、火事の見物には絶対行かないようにしています。

渡部 基信(わたなべ もとのぶ)
同志社大学 赤ちゃん学研究センター 研究員
学研都市病院医師
小児科医、臨床心理士

親から困っている人を助けてあげなさいと言われ、隣の席の女の子の給食のおかずが足りないのに気付いて、自分のおかずを渡してあげた。いいことしたつもりで調子こいて遊んでいたら、「自分のおかず渡してどないすんねん。ややこしいことすな!」と先生に叱られべそかいた。

金谷 久美子 (かなたに くみこ)
京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻 健康情報学分野 研究員
内科医

数々の失敗の中から、印象に残っているもの3つを。
・5歳の頃。大好きだった小栗くんの家でブロック遊びに夢中になって、うん○もらしました。
・6歳の頃。「強く押す」を強く押してしまいました。
・小1の夏になる頃。ビーチサンダルで学校に行った上に、優しく指摘してくれた先生に「どうしてビーチじゃだめなの?」「すぐに履けるから混まないよ」「普通に走れるよ?」と質問攻め。親に電話がかかりました。
それまで我慢していた不思議、勇気を出して表現してみたのだけど・・・。母が「この子は幼稚園に行っていなかったから・・・」と一生懸命代弁してくれました。

川西 康之 (かわにし やすゆき)
同志社大学 赤ちゃん学研究センター 特任助教
産婦人科医、公衆衛生医

幼稚園の時の記憶です。母と家の近所を歩いている際に、母の姿を見失ってしまいました。少し探したら、横断歩道を歩いている同じ水色のダウンコートを見つけて、「おかあさーん!」と大きな声で走って行って、背中に思いっきり飛びついたら、全然知らないおばちゃんでした(笑)。おばちゃんは笑っていたような気もしますが、ものすごく恥ずかしくなって走って逃げました。

平林 今日子(ひらばやし きょうこ)
京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定助教
社会学

幼稚園でのお弁当初日、母が迎えに来てもまだ食べていたエピソードを、子どもの頃何度も聞かされました。自分では覚えていないのですが、のんびりマイペースな性格は今も変わりません。私の遺伝子をしっかり受け継いだ娘も、小学校での朝と帰りの身支度に苦戦しているようです。温かく見守ってくださる周囲の人々に感謝です。

リサーチ・コーディネータ(RC)と事務職員

>教員・研究員

自己紹介を兼ねて、「子どものころの小さな失敗」について書いてみました。

京大オフィス

三ツ野 さゆり (主任)

寒がりだった私はストーブに近づきすぎて、何度も服を焦がしました~。当時は家でも学校でも石油ストーブが主流。化繊の衣類は熱くなった金属部分にさわるとすぐに溶けて焦げるんです。昭和あるあるですね。

今井 ひろみ

子どもの頃の失敗といえば、一番古い記憶は幼稚園児だった4歳のころの事でしょうか。それは「お絵描き」の時間でした。画用紙が配られたところまでは覚えているのですが、それから記憶がすーっとなくなり、気がついた時にはみんなが手を洗うために手洗い場に並んでいました。「あっ、私も洗わな。」と思って列の最後に並ぼうとすると、先生が「ひろみちゃんは洗わなくていいよ。」・・・なんとなく腑に落ちないまま席に戻りました。私はお絵描きの時間中、ずっと眠っていたのでした。あの時の目覚めた時の気持ちよさは、今でもはっきり覚えています。

上野 由紀

目の前に伸びる真っすぐな道、辺り一面に広がるドロドロの田んぼ。目をつむったまま、この道の向こうまで果たして無事辿り着けるであろうか…。小学校からの帰り道は、不要な危険がいっぱいの、まさに妄想アドベンチャーでした。そして私は撃沈し、やらにゃ良かった…を繰り返すのでありました。

小川 直美

小学生低学年の頃ですが、教室にランドセルを置き忘れて帰宅したことがありました。母に「ランドセルは?」と聞かれてはじめて「あれ?」と気づき家の中を探したのですが、あるはずがなく記憶自体あいまいでした。「学校じゃないの?」と母に言われ、慌てて学校へ戻りました。ぼんやりした子でしたが、毎日背負う大きな荷物を忘れたこと、帰るまで気づかなかったことが子どもなりに衝撃でした。「もう、あんたは~!」と常日頃、𠮟咤激励してくれた母の声が聞こえてくるようです。

奥田 美千代

小学生の頃のある日、給食当番のパン担当だった私。給食室から運んでいる途中で、パンの入った木箱を持ったまま、何かにつまずき転んでしまい、廊下中にクラス全員分40個くらいのパンをぶちまけてしまいました。泣きながら落としたパンを拾い集め、給食室に持って行くと、給食調理員さんは笑顔で受け取り、落としたパンをガス火であぶって渡してくれました。その日の給食のパンは、焼きたてのパンのようにフカフカに!クラスメイトの私への反応は非難から一転、賞賛へと変わりました。今考えると衛生的にどうか!?と思いますが、当時の私は、大人ってすごいなぁと感動したのを覚えています。

奥堀 真由美

子どもの頃、好き嫌いがとても多かった私は、小学校1年生の最初の給食の日、嫌いなものばかりの給食を前に食べられず大泣きし、母が呼び出されて学校まで来ました。でも徐々に食べられるものが増えると食に興味を持ち、料理上手な母が料理しているところを見るのが好きになり、「これは何を入れるの?」と聞きながら、自分でも作るようになっていきました。ある日、うどんが食べたくなりうどん出汁を作っていたときのこと、母が入れていた調味料を思い出しながら、お湯の中にかつおだし、みりん、お酒、薄口しょうゆと入れて味見をすると、「ん?変な味!」お酒だと思っていれたのはお酢だったようで、ちょっぴり酸っぱいお出汁を前に愕然としてしまったことを思い出しました。

小島 まみ

小学生のころ、下駄箱の掃除当番が回ってきました。その日は雨で、傘立てにはカラフルな傘がたくさん。掃除を手早く終え、まだ時間も余力もあったので、友達と2人でふと思いつきました。「色ごとに分けたら便利かも💛」1学年6クラスもあるマンモス校だったのですが、傘を全部色ごとに分別したのです。全校生徒分の虹のような美しい傘のグラデーション。早めに下校する1年生がやって来ると「私の傘がない!」と大混乱。「同じ色の傘の山から自分の傘を見つけ出す」というハードなお手伝いに、ひと苦労しました。何でもやってみないとわからないものですね。

出口 雅子

小学校6年生のころ、母にアイスクリームを買ってもらい、喜んで一口ペロっと食べた瞬間、視界が急に変わりました!なぜか腕も入らないような狭いどぶ板の隙間に、アイスクリームではなく私が落ちてしまったのです。それでも必死にアイスクリームを掲げていましたが、よく見るとコーンだけで、アイスクリームは地面に落ちてしまっていました。結局アイスクリームは食べられず、怪我もしてしまい、母にも呆れられ…。今でも時々語り継がれています。

原山 裕子

近所に「長地蔵」というお地蔵さんがあり、長地蔵と背比べをして、長地蔵より背が高かったら3年以内に死んでしまうという言い伝えがありました。学校帰りに勇気を出して背比べをしてみたら、長地蔵の方が高く、ほっとしました。あとで町史に書かれた長地蔵に関する言い伝えを読むと、なんと「この地蔵と背比べをした者は、其の後三年の間に必ず死ぬる、と言い伝えられている。」と書かれていたのです。「背比べしなかったらよかった・・・」と泣きそうになりました。この時の私、小学校3年生。6年生までに私は死ぬんだな・・・とうっすら信じていたのですが、50を超えた今でも元気に暮らしています。


長浜オフィス

阿藤 久美子

幼少の頃は、写真撮影のポーズにマイブームがあったようで、ある時期はずっとガッツポーズ、ある時期はぶりっ子ポーズ、ある時期はやたらと胸を張った気をつけ・・・。大人になって見返すと、失敗したなぁと後悔して、アルバムを閉じてしまいます。

川邉 佳澄

小学生の頃、近所のお姉さん達がプールに誘ってくれました。「明日から旅行だし今日はやめたら」と両親は言っていましたが、どうしても行きたくて、言うことも聞かず泳ぎに行ってしまいました。とても楽しい気分で帰ってきたのですが、夕方から高熱が出てしまい、楽しみにしていた家族旅行が中止になりガックリ。親の言うことを聞いておけばよかったと後悔先に立たず。

久保 和美

6歳くらいだったかと思いますが、母が自動車教習所に通っており、母が教習車に乗っている間、待合室で待っている途中、おトイレに行きたくなり、入って鍵をかけました。古い建物だったこともあり、当然おトイレも古く鍵が錆び付いていて、かける時もかなり硬めで、思いっきり力ずくで横にスライドさせたのですが、さて開けようとすると、どうにも硬く動かず、何回やっても開かなくなってしまいました。怖さと、不安で大声で母の名前泣きながら叫びました。その声を聞きつけて、男性職員の方が来てくれました。幸いトイレのドアは天井までなく、ドアの上が開いていたので職員さんがよじ登ってドアの上から入って来てくれ、トイレから脱出することができました。今も、トイレの鍵には敏感です。

高岸 由紀子

夜9時就寝と決まっていたのに、部屋の電気は消してベッドの灯りだけをつけて、こっそり漫画を読んでいました。でもそのまま眠ってしまうので、よく「また電気つけっぱなしにして!」と怒られていました。そんな私が、今や主人に同じセリフを言う立場になり、成長して良かったと思う反面、成長してない主人って一体・・・な日々です。

中嶋 優季

小さいころの私は、けがが絶えない子でした。かなりの流血をして帰ることが多々あり、眉間とあごには縫ったあとも残っています。こう書くととんでもなく活発な子を想像されるかもしれませんが、実際は全く逆の超インドア派で、なんでもない日常の動作で大けがをしてしまうタイプでした。数人の友だちと並んでフタのない小さめの側溝をまたいで進んでいたら、一人だけその側溝(どぶ!)に足を突っ込んでしまうようなどんくさい子だったので失敗の数は数えきれません。大人になって「ちょっとはマシになったかなー。」と私自身は思っているのですが・・・知らないうちに青あざができていることがけっこうあります。

松岡 恵美子

小学生の頃、家で母に向かって「先生!」と呼びかけ、学校では先生を「お母さん!」と、呼んでしまう失敗。1回間違うと次も気にし過ぎて、また言い間違えてしまったこと。息子に家で「先生!・・・じゃなかった。お母さん!」と呼ばれて思い出しました。


同志社大学サブユニットセンター(木津川オフィス)

小西 かおり

幼稚園で仲良しの由美子ちゃんの家は長家の三軒隣り、我が家の二階の窓から由美子ちゃんちの窓へ糸電話を渡せば、いつでもおしゃべりできる!深く考えずに何でもすぐにやってみたい私は、早速、糸電話の片方を持って屋根づたいにそろりそろり・・でも思っていたより由美子ちゃんの家は遠くて、下を見たとたん動けなくなってしまい、屋根の上で大泣き。隣の家のお兄さんが助けてくれて、両親にきつく叱られました。幼い頃の性分は変わらず、今も時々、無謀な計画を家族に阻止されます。

飯尾 都美

小さい時は、とにかくよく忘れ物、落とし物をしていました。小学校低学年から、電車通学でしたので、定期券なども忘れたこともあります。でも、その反面 落とし物もよく拾い、お巡りさんに届けて、落とし主が現れず、ご褒美をいただいたこともありました。(今のシステムはどうなっているか、わかりませんが。)今は あまりそういうことはありませんが、年とともに、再び、子ども時代にもどるのかなぁと杞憂しています。

小林 寛子

ある日、習い事の帰り、いつものバスに乗らず、友達と冒険心から歩いて帰ることにしました。しかし歩けど歩けど家に着きません。私たちが考えるよりずっとたくさん歩いてようやくお互いの家に帰り、ヘトヘトに疲れた私たちは、心配していた親から大目玉を食らうことになりました。考えの浅い小学生の選択ミスだったのですが、今の私は近距離でも車に。それはそれで選択ミス?

東條 智美

小学校低学年頃でしょうか、放課後、鉄棒にスカートを巻き付けくるくる回るのが好きで、その日も機嫌良く、くるくる回っていたら「ビリッ」スカートがやぶれてしまいました。帰り道、スカートを押さえながら、恥ずかしいし、「怒られるかなー、どうしよー」と思いながら家に着きました。でも母は大笑いして、その後すぐにスカートをきれいに縫ってくれました。母の対応にすごくホッとしたことを覚えています。朗らかで、器用な母に感謝です。