今年度、みなさまとご一緒させていただく教員・研究員です。
「小学校時代の給食の思い出」のエピソードと共にご紹介いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
中山 健夫(なかやま たけお)
・京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻健康情報学分野 教授
・京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター センター長
・内科医
★2017年度よりエコチル調査京都ユニットセンターの3代目のセンター長を担当しています。
今から50年前、昭和40年代の遠い記憶を思い出してみました。小学校の給食、確かアルミを加工した「アルマイト」の食器(もう無いですよね)で、食パン、マーガリン(その後、トランス脂肪酸で騒がれました)、日替わりのおかず、瓶の牛乳でした。好きだったのは砂糖をまぶした揚げパン、そしてカレーをかけたソフト麺! 調べてみたらソフト麺はちょうど私が小学校の頃に関東を中心に採用されたらしいです。平成の終わり頃に給食メニューから無くなってしまったようですが、わりと最近まであったのですね。給食の記憶と共に、教室にあった煙突つきの立派なストーブ、当番で学校の裏からコークス(石炭を蒸し焼きにして炭素部分だけを残した燃料)を運んできたことも思い出しました。…本当にあったレトロな昭和、はるか彼方の懐かしい思い出でした。
板倉 昭二(いたくら しょうじ)
・同志社大学 赤ちゃん学研究センター センター長
・エコチル調査京都ユニットセンター 副センター長
・発達科学、Developmental Cybernetics
★木津川地区は京都サブユニットセンター(同志社大学赤ちゃん学研究センター)が担当しています。その代表として調査の進捗管理を行なっています。
「苦手だった・・・給食」
私の今の体形からすると信じられないかもしれませんが、小学校時代は給食が苦手でした。大きな野菜がごろごろと出てきて、なかなか喉を通りませんでした。野菜のアクがどうしても無理だったんです。中学校に入ってからは、部活もあり激しい運動のせいか、美味しく食べられるようになりました。また、町に給食センターもできて、給食自体もずいぶん改善されたと思います。特に好きだったのはクジラの竜田揚げ。これには同意してくれる方がたくさんいると思います。僕の友人にも大人気でした。今は、クジラのメニューなんてないのでしょうね。小学校時代には、自分が野菜を大好きになるなんて全く想像もしていなかったのですが、今は大好きになりました。齢を重ねてきたせいもあるのでしょう。いずれにしても、好き嫌いが全くなくなったのは、苦手な給食のおかげだと密かに感謝しています。
丹羽 房子(にわ ふさこ)
・京都大学医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定准教授
・京都大学医学部附属病院 小児科医師
★京都地区、長浜地区の詳細調査や発達健康相談を担当しています。今後調査研究についても進めていく予定です。
給食についてはあまり覚えていないのですが、2つのメニューが印象に残っています。それは「わかめごはん」と「ひし型3色ゼリー」です。
母が瀬戸内海の島の生まれなので、子どもの頃、私は島に住む祖父を訪ねて毎年夏に帰省していました。そして海の匂いや海の幸が大好きな子どもでした。そのため、ちょうど「わかめごはん」の日に給食当番に当たると、ご飯をよそう時のあのいい磯の香りにうっとりと幸せな気分になったことが思い出されます。どのような味だったのかは覚えていないのですが…今でも「わかめごはん」のメニューは健在でしょうか?
また、ひな祭りメニューの「ひし型3色ゼリー」は、あの薄いピンクと緑の色合いが目に美しく、こちらも味はほぼ記憶にないのですが、食べるのを勿体無く感じたように覚えています。
今のコロナ禍では給食時間に友達とワイワイ楽しんで食べるのは難しいと思いますが、是非ご家庭で日々の給食メニューについてお子さんとお話ししてみてくださいね。
渡部 基信(わたなべ もとのぶ)
・同志社大学 赤ちゃん学研究センター 副センター長
・学研都市病院小児科部長
・臨床心理士
★木津川地区の詳細調査や発達健康相談を担当しており、エコチル調査の追加調査として、睡眠リズムの研究を行なっています。
給食の思い出
①ソフト麵:ビニール袋に入ってカレーやミートソース風のおかずについてきて、まぜて食べるのですが、食べるときに絶対、ソースが服に飛んで汚して叱られる。
②パン海苔:初めて給食を食べたときのメニューでした。海苔の佃煮なのにパンに塗って食べます。微妙な味で、不評だったのでしょうか、それっきりでした。
③粉末コーヒー:牛乳に入れるやつ。寒い地方だったので、冬はストーブで牛乳をあたため、おいしいミルクコーヒーを楽しめました。
④パックのご飯:ソフト麺のようなビニール袋にご飯がぎゅうぎゅう詰めになってカレーのときに登場。ビニール袋から取り出して一度ご飯をほぐしてから、カレーをかけて食べるのですが、小学生には難しく、また、これも絶対服に飛んで汚して叱られる。
⑤クジラの竜田揚げ:ビフテキは憧れ(食べてみたい)、豚カツはたまにお目にかかる高級料理。当時、クジラ肉は身近な動物性たんぱく質。とても美味しかった印象です。
金谷 久美子 (かなたに くみこ)
・京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定講師
・内科医
★京都地区、長浜地区の学童期検査を担当しています。学童期検査(小学2年生)では追加調査 「骨密度の測定」を実施しています。
私自身ではなく、娘の給食にまつわるエピソードをひとつ。
娘は「手のかからない」卵アレルギー児でした。というのも、「卵が入ってたら口に入れた瞬間、痒くなるからわかるし。心配いらんで。」といった具合で乗り切り、実際に小学校の給食でも全くトラブルなし。
ところが、6年生になったある日の午後、学校から電話が。「卵を間違って食べてしまって。トイレで吐いて、痙攣みたいになっています!」
「すぐ救急車呼んでください、エピペンも打って!!」私も真っ青になりながら病院へ。救急車内では痙攣を起こしていたらしい娘ですが、私が病院に到着した時には血圧も戻り、少しぼうっとしながらも会話ができるくらいまで回復していました。
先生曰く「お豆腐のメニューだったんですが、豆腐が足りなくなって、急遽、卵を使ったみたいなんです」
‥‥でも娘は口に入れたら分かるはずなのに。
娘に尋ねると「痒くなったから、卵が入ってるのは分かったんやけど、美味しかったから、全部食べてん。」そして「ほんま美味しかってん。こんなことになったけど、後悔は無いわ。」と断言。
無事だったからよかったものの、命を失うこともあるんやで‥‥食い意地と自分の選択権を主張してくるあたりに私のDNAの匂いを感じつつ、思春期に入っていたらしい娘の意外な強さを見た春の日でした。
平林 今日子(ひらばやし きょうこ)
・京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定講師
・社会学
★2014年、最後のエコチルキッズが生まれた年からエコチル調査に携わるようになり、広報関連や情報管理、加えて長浜地区での調査の推進等を担当しています。学童期検査(小学2年生)の追加調査「女性の就労と子育てに対する認識について」も実施しています。
先日、小学生の娘が家庭科の授業で初めてミシンを使い、ランチクロスを作ってきました。それを見て、子どもの頃、友人が手作りのランチクロスを作ってプレゼントしてくれたことを思い出しました。級友数人とお揃いの柄で作ってくれ、給食やお弁当の時間がとても楽しみになったことを覚えています。
あれから30数年?が経過した今も、ランチクロスは実は現役で、娘が時々使っています。作ってくれた友人とは、年に一度の年賀状のやり取りだけが続いていますが、コロナ禍がおさまって直接会える日が来たら、改めてお礼を言いたいです。
萬代 真理恵(まんだい まりえ)
・京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻健康情報学分野 研究員
★エコチルとのお付き合いは2011年から。参加者さんが妊婦さんの時からエコチル調査へのリクルートなどでお会いしてきました。今はメールマガジンの執筆を担当しています。
今もそうですが、小学校時代からのんびりした子どもでした。いろいろ本人は頑張っているのですが何をするのも遅く、とりわけ給食を時間内に食べることがとても苦手でした。
低学年の頃はいつも半分くらい食べたところで給食終わりのチャイムがなりました。そうすると掃除が始まってしまうのです。低学年の教室にはお手伝いの高学年のお兄さんたちがやってきてくれるのですが、そのお兄さんたちに食べている状態で机ごと後ろへ「ガーッ」と下げられて、みんなで掃除している間もまだ食べていた思い出があります。当時は給食のおかずを残してはいけなかったので、半泣きになりながら、ほこりまみれで必死におかずを食べて、パンをランドセルに詰めてやっと解放してもらえました。
当時のメニューはうろ覚えですが、あの掃除の中で食べるカオスな風景だけは今でも忘れられません。
中山 健夫(なかやま たけお)
・京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻健康情報学分野 教授
・京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター センター長
・内科医
★2017年度よりエコチル調査京都ユニットセンターの3代目のセンター長を担当しています。
今から50年前、昭和40年代の遠い記憶を思い出してみました。小学校の給食、確かアルミを加工した「アルマイト」の食器(もう無いですよね)で、食パン、マーガリン(その後、トランス脂肪酸で騒がれました)、日替わりのおかず、瓶の牛乳でした。好きだったのは砂糖をまぶした揚げパン、そしてカレーをかけたソフト麺! 調べてみたらソフト麺はちょうど私が小学校の頃に関東を中心に採用されたらしいです。平成の終わり頃に給食メニューから無くなってしまったようですが、わりと最近まであったのですね。給食の記憶と共に、教室にあった煙突つきの立派なストーブ、当番で学校の裏からコークス(石炭を蒸し焼きにして炭素部分だけを残した燃料)を運んできたことも思い出しました。…本当にあったレトロな昭和、はるか彼方の懐かしい思い出でした。
板倉 昭二(いたくら しょうじ)
・同志社大学 赤ちゃん学研究センター センター長
・エコチル調査京都ユニットセンター 副センター長
・発達科学、Developmental Cybernetics
★木津川地区は京都サブユニットセンター(同志社大学赤ちゃん学研究センター)が担当しています。その代表として調査の進捗管理を行なっています。
「苦手だった・・・給食」
私の今の体形からすると信じられないかもしれませんが、小学校時代は給食が苦手でした。大きな野菜がごろごろと出てきて、なかなか喉を通りませんでした。野菜のアクがどうしても無理だったんです。中学校に入ってからは、部活もあり激しい運動のせいか、美味しく食べられるようになりました。また、町に給食センターもできて、給食自体もずいぶん改善されたと思います。特に好きだったのはクジラの竜田揚げ。これには同意してくれる方がたくさんいると思います。僕の友人にも大人気でした。今は、クジラのメニューなんてないのでしょうね。小学校時代には、自分が野菜を大好きになるなんて全く想像もしていなかったのですが、今は大好きになりました。齢を重ねてきたせいもあるのでしょう。いずれにしても、好き嫌いが全くなくなったのは、苦手な給食のおかげだと密かに感謝しています。
丹羽 房子(にわ ふさこ)
・京都大学医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定准教授
・京都大学医学部附属病院 小児科医師
★京都地区、長浜地区の詳細調査や発達健康相談を担当しています。今後調査研究についても進めていく予定です。
給食についてはあまり覚えていないのですが、2つのメニューが印象に残っています。それは「わかめごはん」と「ひし型3色ゼリー」です。
母が瀬戸内海の島の生まれなので、子どもの頃、私は島に住む祖父を訪ねて毎年夏に帰省していました。そして海の匂いや海の幸が大好きな子どもでした。そのため、ちょうど「わかめごはん」の日に給食当番に当たると、ご飯をよそう時のあのいい磯の香りにうっとりと幸せな気分になったことが思い出されます。どのような味だったのかは覚えていないのですが…今でも「わかめごはん」のメニューは健在でしょうか?
また、ひな祭りメニューの「ひし型3色ゼリー」は、あの薄いピンクと緑の色合いが目に美しく、こちらも味はほぼ記憶にないのですが、食べるのを勿体無く感じたように覚えています。
今のコロナ禍では給食時間に友達とワイワイ楽しんで食べるのは難しいと思いますが、是非ご家庭で日々の給食メニューについてお子さんとお話ししてみてくださいね。
渡部 基信(わたなべ もとのぶ)
・同志社大学 赤ちゃん学研究センター 副センター長
・学研都市病院小児科部長
・臨床心理士
★木津川地区の詳細調査や発達健康相談を担当しており、エコチル調査の追加調査として、睡眠リズムの研究を行なっています。
給食の思い出
①ソフト麵:ビニール袋に入ってカレーやミートソース風のおかずについてきて、まぜて食べるのですが、食べるときに絶対、ソースが服に飛んで汚して叱られる。
②パン海苔:初めて給食を食べたときのメニューでした。海苔の佃煮なのにパンに塗って食べます。微妙な味で、不評だったのでしょうか、それっきりでした。
③粉末コーヒー:牛乳に入れるやつ。寒い地方だったので、冬はストーブで牛乳をあたため、おいしいミルクコーヒーを楽しめました。
④パックのご飯:ソフト麺のようなビニール袋にご飯がぎゅうぎゅう詰めになってカレーのときに登場。ビニール袋から取り出して一度ご飯をほぐしてから、カレーをかけて食べるのですが、小学生には難しく、また、これも絶対服に飛んで汚して叱られる。
⑤クジラの竜田揚げ:ビフテキは憧れ(食べてみたい)、豚カツはたまにお目にかかる高級料理。当時、クジラ肉は身近な動物性たんぱく質。とても美味しかった印象です。
金谷 久美子 (かなたに くみこ)
・京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定講師
・内科医
★京都地区、長浜地区の学童期検査を担当しています。学童期検査(小学2年生)では追加調査 「骨密度の測定」を実施しています。
私自身ではなく、娘の給食にまつわるエピソードをひとつ。
娘は「手のかからない」卵アレルギー児でした。というのも、「卵が入ってたら口に入れた瞬間、痒くなるからわかるし。心配いらんで。」といった具合で乗り切り、実際に小学校の給食でも全くトラブルなし。
ところが、6年生になったある日の午後、学校から電話が。「卵を間違って食べてしまって。トイレで吐いて、痙攣みたいになっています!」
「すぐ救急車呼んでください、エピペンも打って!!」私も真っ青になりながら病院へ。救急車内では痙攣を起こしていたらしい娘ですが、私が病院に到着した時には血圧も戻り、少しぼうっとしながらも会話ができるくらいまで回復していました。
先生曰く「お豆腐のメニューだったんですが、豆腐が足りなくなって、急遽、卵を使ったみたいなんです」
‥‥でも娘は口に入れたら分かるはずなのに。
娘に尋ねると「痒くなったから、卵が入ってるのは分かったんやけど、美味しかったから、全部食べてん。」そして「ほんま美味しかってん。こんなことになったけど、後悔は無いわ。」と断言。
無事だったからよかったものの、命を失うこともあるんやで‥‥食い意地と自分の選択権を主張してくるあたりに私のDNAの匂いを感じつつ、思春期に入っていたらしい娘の意外な強さを見た春の日でした。
平林 今日子(ひらばやし きょうこ)
・京都大学大学院 医学研究科 エコチル調査京都ユニットセンター 特定講師
・社会学
★2014年、最後のエコチルキッズが生まれた年からエコチル調査に携わるようになり、広報関連や情報管理、加えて長浜地区での調査の推進等を担当しています。学童期検査(小学2年生)の追加調査「女性の就労と子育てに対する認識について」も実施しています。
先日、小学生の娘が家庭科の授業で初めてミシンを使い、ランチクロスを作ってきました。それを見て、子どもの頃、友人が手作りのランチクロスを作ってプレゼントしてくれたことを思い出しました。級友数人とお揃いの柄で作ってくれ、給食やお弁当の時間がとても楽しみになったことを覚えています。
あれから30数年?が経過した今も、ランチクロスは実は現役で、娘が時々使っています。作ってくれた友人とは、年に一度の年賀状のやり取りだけが続いていますが、コロナ禍がおさまって直接会える日が来たら、改めてお礼を言いたいです。
萬代 真理恵(まんだい まりえ)
・京都大学大学院 医学研究科 社会健康医学系専攻健康情報学分野 研究員
★エコチルとのお付き合いは2011年から。参加者さんが妊婦さんの時からエコチル調査へのリクルートなどでお会いしてきました。今はメールマガジンの執筆を担当しています。
今もそうですが、小学校時代からのんびりした子どもでした。いろいろ本人は頑張っているのですが何をするのも遅く、とりわけ給食を時間内に食べることがとても苦手でした。
低学年の頃はいつも半分くらい食べたところで給食終わりのチャイムがなりました。そうすると掃除が始まってしまうのです。低学年の教室にはお手伝いの高学年のお兄さんたちがやってきてくれるのですが、そのお兄さんたちに食べている状態で机ごと後ろへ「ガーッ」と下げられて、みんなで掃除している間もまだ食べていた思い出があります。当時は給食のおかずを残してはいけなかったので、半泣きになりながら、ほこりまみれで必死におかずを食べて、パンをランドセルに詰めてやっと解放してもらえました。
当時のメニューはうろ覚えですが、あの掃除の中で食べるカオスな風景だけは今でも忘れられません。
2022年4月1日更新